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人はなぜ“教えられる”ことに抵抗するのか

■ なぜ“教えられる”ことに抵抗するのか

― マイクロマネジメント批判の裏にある羞恥とプライド ―

 

「マイクロマネジメントはやめろ」。
最近よく聞く言葉だ。
けれど、その言葉の裏に潜んでいるのは、単なる理屈ではなく、もっと人間的な感情なのではないかと思う。

人は「教えられる」ことに、本能的な抵抗を感じる。
知らないことを指摘されると、どこか恥ずかしい。
できない自分を見せつけられたような気がして、プライドがざらつく。
その感情がうまく言葉にならないから、「マイクロマネジメントはうざい」とか「自由を奪われた」といった理屈をまとう。
私は、そうした反応を“理論武装された羞恥心”だと感じている。

■ 教えられることへの羞恥と防衛

子どもを見ていてもそうだ。
「こうやるんだよ」と教えると、素直に受け入れる日もあれば、反発する日もある。
それは知識やスキルの問題ではなく、感情の問題だ。
「知らない自分を見られたくない」「できない自分を認めたくない」というプライドが、どうしても顔を出す。

大人も同じだ。
仕事の現場で、「もっとこうした方がいい」と伝えただけで、表情が曇ることがある。
それは命令されたからではない。
“教えられた”と感じた瞬間に、自分の中の「恥」と「誇り」がせめぎ合うからだ。

 

■ 「舐めてるのか」という世界から距離を置く理由

私は「舐めてるのか」「馬鹿にしてるのか」という言葉を使う人とは距離を置くようにしている。
なぜなら、その尺度で生きている限り、世界が“対立構造”でしか見えなくなるからだ。
「上か下か」「勝つか負けるか」「舐めるか舐められるか」。
そこに“前に進む”という発想はない。

私は“先に進む”ことにしか興味がない。
だから「舐めているかどうか」は、私の中ではまったく意味を持たない。
他人の態度を気にするより、自分がどう変わり、どう成長するかに意識を向けたい。
マイクロマネジメントという言葉で他人を裁くよりも、なぜ自分はそれを不快に感じるのかを見つめた方が、よほど実りがある。

 

■ 教えることは「上から」ではなく「伝え合う」こと

会社で再現性を持たせるには、ある程度の“型”が必要だ。
メールの書き方、報告の順序、取引先への対応。
これらを「細かい」「うるさい」と切り捨ててしまえば、組織としての信頼は崩れる。
だが、伝え方を誤ると、相手に“支配”として伝わってしまう。

だからこそ、私は「教える」というよりも「伝え合う」ことを意識している。
上から下へではなく、横に並ぶように。
「こうした方がうまくいくと思う」と伝えるとき、自分の中にも「絶対の正解」があるわけではない。
あくまで一緒に進むための“情報共有”としての言葉だ。

 

■ 「マイクロマネジメント」は本当に悪なのか?

マイクロマネジメントを毛嫌いする人の多くは、“干渉される痛み”を過去に味わっている。
それは理解できる。
だが、すべてのマイクロマネジメントが悪なのではない。
初期の段階で、正しい方向を見せてあげることは、むしろ相手を守る行為でもある。
型を教えることは、支配ではなく“共通言語の共有”だ。

問題は「相手の心の防衛を理解せずに踏み込むこと」だ。
相手の中にある羞恥やプライドを見抜き、それを傷つけずに導ける人こそが、本当のリーダーだと思う。

 

■ 結論:「教えられることの痛み」を理解した上で、伝える

人は、教えられることに痛みを感じる。
それは自然なことだ。
だから、マイクロマネジメントを行う側も、その痛みを理解していなければならない。

マイクロマネジメントを「正すこと」ではなく、「共に整えること」として実践すれば、
それは支配でも押しつけでもなくなる。
“相手の心の防衛を理解した上で伝える”——
そこに、信頼と成長の余地が生まれるのだと思う。

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